キリスト教

被支配からの目覚め

私には心の底にキリスト教的ベースがあり、そのことは自身の内心に向けてもそうだが、絶えず神様と悪魔(サタン)、そして善と悪を見分ける視点があるということである。そして悪は善をもってでしか克服できない事をつくづく実感する。究極は悪は善に恰も飲み込まれるように消えてゆく、これは甘い期待感や希望ではない確信だ。それではその善の根源は何か、何処から来るのか、そのことを文鮮明真の父母様(以下愛と尊敬を込めて”お父様”と記述する)は、神様の真の愛と語られた。悪の根源である悪魔(サタン)を真の愛で昇華させることが神様の究極的な御業であるということを語られた。

キリスト教

人は必ず幸せになれる

文鮮明師の七男の文享進牧師(以下文牧師)は父である文鮮明師から後継者、相続者として推戴され上述した生き方を体現されている方である。文牧師が語られる宗教哲学を背景とした多くの教養は、文鮮明師の理念を紐解くうえで私も多くの示唆を受けている。文牧師は宗教哲学的教養と共に、卓越した行動力で多くの若者たちを指導している。当ブログで掲げている「IRON ROD」は、文牧師の精神とそれに基づく行動の象徴であり、私もそれに近づきあやかりたいと掲げた「おまじない」である。

キリスト教と国際政治

民主主義と共産主義の終焉から「神主義」「父母主義」世界へと昇華する現実世界

父母主義とは何でしょうか。地上でアダムとエバが完成した真の父母主義です。その次に、「神主義」とは何でしょうか。真の父母は横的な父母なので、縦的な父母が必要だというのです。ですから縦的な父母主義が「神主義」です。ゆえに「頭翼思想」(とうよくしそう)という言葉は真の父母主義であり、ゴッディズム(Godism:神主義)とは縦的な「神主義」です。