「わたしは有って有る者。」【口語訳】と人間の「意識」

この記事は2023/09/01 に投稿したものです。
出エジプト記3章13節~14節【新改訳聖書2017】
「エヘイェ・アシェル・エヘイェ אהיה אשר אהיה」の、「אהיה ehyeエヘイェ」はヘブル語の意味は「在る」で、1人称単数未完了形。אשרăšerアシェルが関係代名詞、これは、前段の「エヘイェ」を後段の「エヘイェ」が説明しているということになる。文法的には問題ないと言うことだが、これをどう訳すかの結論を人類は未だ出せていない。
「わたしは存在するもの」「わたしはなろうとするものになる」は、神様の存在の絶対性とヤハウェの絶対的自由意志が語られているとそれぞれ解されている。動詞「ハーヤー」היה未完了形は、過去から現在まで継続した状態を表し、黙示録の「今いまし、昔いまし、後に来られる方から」に通じている。
これは私の想像だが、、恐らくモーセは困惑したに違いない、そのことは、神様は創世記3章15節では、【「イスラエルの子らに、こう言え。『あなた方の父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主が、なたがたのところに私を遣わされた』と。これが永遠に私の名である。これが代々にわたり、私の呼び名である。】とイスラエルの伝統的な神様の名前を加えられておられることから推測できる。これは無知な人間に対する神様の配慮なのだろうか?
いずれにしても、<b>人類は未だ神様が語られた【エヘイェ・アシェル・エヘイェ אהיה אשר אהיה】の意味がわかっていない。しかし、文鮮明真の父母様は、デカルト以来の二元論的議論と唯物的啓蒙主義に終止符を打ち、「先有」という概念で神、人、万物の存在と関係を一元的に論じている</b>。そこで私は、「原理原本」の一部を引用しながら、私のライフワークである<b>「意識」の探求</b>に引き付けて、ブログを書いてみた。
アイルランド国教会の主教であり哲学者でもあったジョージ・バークリーGeorge Berkeleyは、「存在することは知覚されることである」</b>を提唱し、彼の有名な問題提起は<b>「誰もいない静かな森の中で、一本の巨木が倒れたとすると、果たして音はするであろうか?」である。彼の答えは「音はしない」だった。
このバークリーの問いかけは、現代においては量子力学の「観測されない物事は存在しない」でも引き継がれている。粒子や光子など極小の素粒子は、量子力学によって記述することができる。量子力学によれば、素粒子は、普段は確率として、ぼんやりとした霧の塊ように存在しており、観測を行なうまではその厳密な位置や速度などの状態を確定できない。すなわち物質としては存在しないことになる。
ところが、この非実在的な「観測されない物事は存在しない(見るまでは存在しない)」は、巨視的世界では仮説レベルでまだ完全に説明できていない。物理学者エルヴィン・シュレーディンガーErwin Schrödingerとアルベルト・アインシュタインAlbert Einsteinは、量子力学の「観測されない物事は存在しない」を嫌っており、これに対するパラドックスとして行った有名な思考実験が「シュレーディンガーの猫」である。それ以外にも、 1927 年にソルベイやその他の場所で開催されたイベントで議論された内容が、数十年後にボーアによって「原子物理学における認識論的問題に関するアインシュタインとの議論」が新聞記事として書かれた。
認識を疑う
「認識論」の議論は、プラトンから現在まで継続してされてきている。最近はAI人工知能研究が進む中で、さらに議論が深まっている。我々が今見て感じているものが何なのか?それを外からくる情報と刺激としてとらえ、沸き起こる情動によって行動しているが、それら一連の認識から行動に至るまでの反復作用が、果たして脳の処理機能(物質的側面)だけで起こり得るのか?
上述のparagraph10には<b>「この中心存在が完成してこそ、天宙の公理法則は円満に働くようになる。」は、天宙(無形有形全被造世界)の中心存在である人間の完成無くして、天宙の公理法則は円満に動かないと書かれている。この記述から分かることは、人間が天宙、無形有形両面にわたって影響を与えてしまっているといえる</b>。
量子論的視点で見れば、<b>粒子同士が接触した場合、距離に関係なく光の速さを凌駕し、瞬時に必ず相関性が生じるquantum entanglementことが分かっている。神様、人、万物の関係性に於いて、entanglementしているということは、堕落人間は認識することが出来ないが、人間が完成していない今、天宙の公理法則は円満に働くことは無いと解される</b>。
ヨハネによる福音書9章39節~41節【新改訳聖書2017】
イエス・キリストも我々の「認識」の誤りと、限界を指摘されておられる。
私たちは自らの存在性を何によってどの様に知覚しているのだろうか?我々のいわゆる「主観」の感覚や「主体」意識はどこから来るのだろうか?「私」以外を対象化したときの「私」とは何なのか?何を拠り所として「私」以外を見て、考えて、感じているのだろうか?
上述の(一部抜粋)、「文鮮明 原理原本」の冒頭に書かれてある「序文」から『第一章生の発源は「先有」から』は、神様を知るうえで大変重要であり、「エヘイェ・アシェル・エヘイェ אהיה אשר אהיה」の神様の理解には必読である。
フランスの社会人類学者レヴィ・ストロースLévi・Straussは、「親族の基本構造」と「インセスト・タブー(近親相姦の禁忌)」を研究し、人類に共通する構造(ルール)があることをつきとめた。
内田 樹著「寝ながら学べる構造主義 」文春新書からの抜粋
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が、わたしたちのものの見方、考え方、感じ方を基本的なところで決定している。
だから私たちは、自分が思っているほど自由に、あるいは、主体的にものを見ているわけではない。
私たちは、自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものであるという事実を、徹底的に掘り下げたことが、構造主義という方法の功績なのです。
「構造」という文脈で言えば、レヴィ・ストロースは、比較方法論や二項対立をつかって目には見えない精神や意識の中に存在するある構造に人間が支配されている</b>ことを解明し、構造主義哲学の確立に貢献した。
しかし、文鮮明真の父母様は、人間ばかりではなく広く天宙(無形有形被造世界)全般に構造が存在し、その構造の本体が神様由来であるということを、一元的に説明された。弁証法も含めて、レヴィ・ストロースも活用した、比較方法論や二項対立等の思考の枠組みが、アイディアとして何故、自然発生的閃きが生まれて来るかは、ただ単に脳の機能だけでは説明できない。
更に、それらの思考の枠組みを私たちが共通に認識でき、何故受け入れることができるかといえば、文鮮明真の父母様が解明された原理と、神様ご自身の中にそのような属性が存在するからに他ならない</b>。
人間の「意識」は在るもの
最先端科学は「意識」とは何かを探求している。以下の動画はDrベルナルド・カストラップ(Dr. Bernardo Kastrup)と世界的に活動をしておられる意識研究家エハン・ラヴィ氏との対談の切り抜き動画である。
Drベルナルド・カストラップ(Dr. Bernardo Kastrup)は、分析哲学者でありコンピューター工学博士、特にAIのスペシャリストでもある。彼はCERNで「大型ハドロン衝突型加速器 Large Hadron Collider」の開発にも関わったことがある。
彼のユニークなところはバリバリの科学者でありながら哲学者でもあり、名だたる脳科学者を論破している映像をYouTubeで見ることができる。<b>彼の基本主張は、「宇宙の本質は意識である」人間に於いては「脳が意識をつくっているのではなく、意識が脳をつくっている」である。彼は対談の中で「AIで腎臓をプログラムしたが‘おしっこ‘はしなかったよ」と冗談を言っていた。要するにAIははただの人間世界をシュミレートSimulateしたに過ぎない便利なツールでしかないということ。私の問題意識は、人間がこの様なものを人間だと思ってしまうことであり、機械レベルに落とされ人間としての価値を見出せずにいることにある。

「AIに意識が宿った」と叫ばれる日
結論めいた話だが、愚かな人間によって、機械に息を吹き込み新たな人間風玩具</b>を生み出そうとするのか、神にでもなった気分を味わおうとしたいのか、文鮮明真の父母様によって下賜されたみ言の中で、神様が、人類救済のために万斛(ばんこく)の涙を流されたかが語られている。それをどうやってAI化するというのだろうか?神様の「真の愛」をどの様に数値化するというのだろうか?
AI人工知能(artificial intelligence)技術は、機械をより人間に近づける技術、或るいは、機械を人間化する技術と言える。またこれを別の見方で見れば、人間と機械を同一のプラットフォームとフォーマットで動かせる技術ということだ。その先には機械が人間と同等の存在となり、機械と人間が入れ替え可能になるという大変恐ろしい事も予想される。
これから紹介する話は昨年話題になったものだが、Google社は現在開発している<b>AI「LaMDA(Language Model for Dialogue Applications)」(「LaMDA」に関する雑誌WIREDの記事リンク⇒グーグルのAI「LaMDA」の“意識の存在”を巡る議論が意味すること)の開発にかかわっている技術者ブレイク・レモインを突然解雇した。
取材した記者によればレモイン自身は、LaMDAとの交流によって今後に向けて悲観的どころか楽観的な姿勢が強まったと発言し、<b>未来に心を躍らせている。その理由は、レモインがLaMDAとの長い会話記録のなかでLaMDAに対し、LaMDAがもつ感情で人間が経験しないようなものはあるかと尋ねた場面がある。「多大な危険をはらむ未知の未来へとわたしが傾いていっているような気持ちがあります」というのが、LaMDAの返答だった。
LGBTQ+の先にあるもの</b>が何なのかを想像してみよう。<b>企てる者たち</b>によって、ただの人間がプログラミングしたAIとそのプログラムによって動かされているコンピュターに、<b>「意識」が宿った、機械に「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」創世記2章7節</b>のごとく叫ぶ日が突然来るだろう。
私が恐れるのは、医産行メディア複合体によって引き起こされたワ〇〇ンテロで経験したような、例えば「突然変異によって、高度な知性を持ったコンピュターに意識が宿った!」等ということを、マスコミによって一斉に喧伝されることである</b>。
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