変形共産主義による世界統一支配
変形共産主義の勉強会が開催された(正式な会の名称は忘れた)。この会の開催目的は、”神様は国家主権を奪い合う戦いには勝利したが(ソビエト連邦の崩壊)、サタンは屈服していない変形共産主義に対備せよ!!”この様な趣旨のみ言をお父様(文鮮明真の父母様を私は尊敬と愛をこめてそう呼んでいる。以下お父様と略称)が語られところから始まった。
変形共産主義の勉強会が開催された(正式な会の名称は忘れた)。この会の開催目的は、”神様は国家主権を奪い合う戦いには勝利したが(ソビエト連邦の崩壊)、サタンは屈服していない変形共産主義に対備せよ!!”この様な趣旨のみ言をお父様(文鮮明真の父母様を私は尊敬と愛をこめてそう呼んでいる。以下お父様と略称)が語られところから始まった。
この写真は、1927年量子力学に関する第5回ソルベー会議の参加者の集合写真だ。出席者29人のうち17人がノーベル賞受賞者であり、この会議には、この時代の最高の叡智達が集まった。アルベルト=アインシュタイン、エルヴィン=シュレディンガー、ポール=ディラック、ニールス=ボーア、ウェルナー=ハイゼンベルク等、現代量子論の基礎を築いた人たちだ。恐らくお父様はまだ7歳くらいの頃ではないだろうか。
「救援摂理史の原理観」を語り終えた直後に、「今日はマリアにとって最高の日だった」と語られたと聞いている。そのことの意味は、本来イエス・キリストを命がけで守らなければならなかったのが、ザカリア家庭とヨセフとマリアであったが、結果として守ることが出来ずイエス・キリストは十字架に掛けられてしまった。
神様が人間をなぜつくったか?第一は、神様自身が父母の立場に立つためです。父母は、霊界でも無形です。模型がありません。それで、形を持った人間の父母になるためには、形を持たなければなりません。そうでなければ、中心になりえないのです。
信仰による神様との関係を軸にした人間それぞれの関係(文鮮明真のお父様は「縦的、横的関係」と規定されている)が欠落した民主主義の脆弱性は、支配を企てる者達によってマスコミを使って大衆を扇動しコントロールすれば、民主主義をツール化することができ、一滴の血も流さずに法律を駆使し全体主義に傾かせることができてしまうところにある。さらに、そのような状況下ではほとんどの大衆は全体主義が浸透していることを全く見抜くことが出来ない。
私には心の底にキリスト教的ベースがあり、そのことは自身の内心に向けてもそうだが、絶えず神様と悪魔(サタン)、そして善と悪を見分ける視点があるということである。そして悪は善をもってでしか克服できない事をつくづく実感する。究極は悪は善に恰も飲み込まれるように消えてゆく、これは甘い期待感や希望ではない確信だ。それではその善の根源は何か、何処から来るのか、そのことを文鮮明真の父母様(以下愛と尊敬を込めて”お父様”と記述する)は、神様の真の愛と語られた。悪の根源である悪魔(サタン)を真の愛で昇華させることが神様の究極的な御業であるということを語られた。
文鮮明師の七男の文享進牧師(以下文牧師)は父である文鮮明師から後継者、相続者として推戴され上述した生き方を体現されている方である。文牧師が語られる宗教哲学を背景とした多くの教養は、文鮮明師の理念を紐解くうえで私も多くの示唆を受けている。文牧師は宗教哲学的教養と共に、卓越した行動力で多くの若者たちを指導している。当ブログで掲げている「IRON ROD」は、文牧師の精神とそれに基づく行動の象徴であり、私もそれに近づきあやかりたいと掲げた「おまじない」である。
父母主義とは何でしょうか。地上でアダムとエバが完成した真の父母主義です。その次に、「神主義」とは何でしょうか。真の父母は横的な父母なので、縦的な父母が必要だというのです。ですから縦的な父母主義が「神主義」です。ゆえに「頭翼思想」(とうよくしそう)という言葉は真の父母主義であり、ゴッディズム(Godism:神主義)とは縦的な「神主義」です。
「エヘイェ・アシェル・エヘイェ אהיה אשר אהיה」の、「אהיה ehyeエヘイェ」はヘブル語の意味は「在る」で、1人称単数未完了形。אשרăšerアシェルが関係代名詞、これは、前段の「エヘイェ」を後段の「エヘイェ」が説明しているということになる。文法的には問題ないと言うことだが、これをどう訳すかの結論を人類は未だ出せていない。
講論のこの個所では神様は知能と心霊の程度に応じて聖書の中で象徴と比喩で教えるとしているが、更に解釈の観点が異なれば違う結果をもたらし、解釈の相違がうまれると書かれてある。